2018年も、もう終盤を迎えようとしている。
今年も様々な華々しいニュースがファッション界を駆け巡った反面、偉人たちとの別れも存在した。2018年が終わりを迎えるその前に、もう一度、彼らの人生とその功績を振り返っておこう。
芦田淳

ファッションデザイナー。1930年に旧朝鮮で生まれた。
高島屋などの顧問デザイナーを担った後、皇后美智子陛下の皇太子妃時代における専属デザイナーを務めたことで知られる。1977年にはパリにも事務所を構え、全日空や帝国ホテルなど、数多くの有名企業の制服も手がけた。上品な仕立て、調和の取れたバランス、女性のシルエットを上品に際立たせることに卓越した彼の美意識は、日本のエレガンスさを世界に轟かせた。
2018年10月20日、肺炎のため亡くなった。88歳没。
ユーベル・ド・ジバンシィ

ファッションデザイナー。1927年、パリの郊外にあるボーヴェに生まれた。パリ万博で衣装の展示を見たのをきっかけに、デザイナーを志し、数々のメゾンのもとで経験を積んだ後、1952年に独立し「ジバンシィ」を創設した。
「モードの神童」と呼ばれた彼は、オードリー・ヘップバーンの映画衣装を数多く手がけたことで知られ、その他にも、ケネディー大統領夫人や、グレース・ケリーなど、多くの著名人たちの衣装をデザインした。そのエレガンスさ、映画的盛大さ、それでいてフランス人らしい華やかさを忘れなかった彼のデザインは、オートクチュールの黄金期を燦々と照らし、亡き後も映画史、ファッション史にその名を刻まれ続ける。
2018年3月10日、91歳没。死因は非公表となっている。
ケイト・スペード

ファッションデザイナー。1962年にアメリカ合衆国ミシシッピ州に生まれた。
アリゾナ州立大学でジャーナリズムを学んだ後、ファッション雑誌の編集者として勤務、その後、1993年に夫と友人と共同で「ケイト・スペード・ニューヨーク」を立ち上げた。トランプのスペードをあしらったカバンが特に有名で、そのカラフルで独創的なデザインが一躍人気となり、1990年代のファッション界に旋風を巻き起こした。
ベーシックな型を守りながら、女性の求める愛らしさを形にしてきた彼女の作品たちは、今も、そしてこれからも世界中の女性に愛され続けるであろう。
2018年6月5日、55歳の若さで亡くなった。自殺だった。
ジュディ・ブレイム

スタイリスト。1960年、イギリスのレザーヘッドに生まれる。
17歳のときに、パンクの道を目指そうと家を飛び出しロンドンに移り住むが、知り合いが居なかったため、その後2年間、マンチェスターで過ごした。ニューロマンティックの流行とともにロンドンへ戻り、クラブシーンで知名度を上げた彼は、ビョークのアルバムでアート・ディレクターを務めたり、英カルチャー誌「i-D」の監修を30年間に渡り勤めたりなど、多方面で活躍した。パンクをこよなく愛し、モードと退廃的な世界観を融合させたそのスタイルは、ジョン・ガレアーノを初めとする世界のデザイナーたちに多大なる影響を与えた。
2018年2月19日、癌が原因で亡くなった。58歳没。
リック・ジェネスト

ファッションモデル。1985年、カナダに生まれる。
思春期に脳腫瘍と診断された彼は、手術を待つ6ヶ月の間、人生や死について考え続けるようになり、全身にタトゥーを入れたのだという。通称、「ゾンビボーイ」として知られ、サイドショーのスターとしてカナダ各地を巡った後、ニコラ・フォルミケッティに見出され、2011年にティエリー・ミュグレーからファッションモデルとしてデビューした。また、レディー・ガガのヒット曲「ボーン・ディス・ウェイ」のMVに登場したことで、一躍有名となり、その後は俳優としても活動していた。
2018年8月1日、32歳の若さで亡くなった。死因は自宅アパートのバルコニーからの転落による事故死とみられている。
彼らを失ったことは、ファッション界において大きな損失だろう。
しかし、彼らの創り上げたそのスタイルや、彼らが人々に与えた影響は、また別の形で存在し続ける。
彼らの冥福を祈るとともに、彼らのなき2019年のファッション界のさらなる進化、発展を期待したい。