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中国の若き才能Ren Hang(レン・ハン/任航)の2017年2月の衝撃的な自殺から2年が経った。アート写真界は今やっと彼の死を現実だと受け止められつつあるのかもしれない。今春パリのMEP(ヨーロッパ写真美術館)では彼の150作品を集めた個展が始まったばかりだ。これを機に彼の創り出した写真の世界を振り返ってみたい。

独学から花開く

レン・ハンは1987年中国、長春(チャンシュン)市生まれの写真家、詩人である。

彼の作品は、被写体の大部分が若者のヌードであることや、その少しポップな色使いでよく知られる。本ページでも何点かが見られる蓮のシリーズでも、真っ赤な口紅と葉の緑の鮮やかな対称が目に残る。

裸体と自然のオブジェをユニークに組み合わせたり、何人ものモデルの手や頭などを配列させ模様を形作ることも、彼の得意なスタイルであった。身体と葉の重なりや、モデルの目を鳥の目が代用するような配置はとても魅力的だ。しかしアイディア自体は極めて斬新というわけでもなく、写真にそれなりに興味のある者なら「その構図、俺もやろうと思ってた」なんて思えるようなものも多い。

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写真学校へ通ったことはなく、所属していた広告・コミュニケーション学科の授業の退屈しのぎにルームメートのヌードを撮り始めたことがきっかけだったという。彼の写真技術は至ってシンプルで、カメラはMinoltaの35mmフルサイズ・カメラのみ。単一光源の単純なライティングが多く、中央が強く照らされた夜の写真などは、特にプロの目を持たない者でも手法か容易に想像できるようなままの仕上がりだ。一般的に舞台裏の努力は隠すべくの完璧主義とはほど遠い。

しかし、レン・ハンの写真を目の当たりにするとそんなことは忘れてしまう。私たちは写真がそれなりによいときこそ細かな批評に躍起になるのではないか。彼の作品はその次元を越えている。見た瞬間に心に何かが届く。それは何なのだろう。

そして写されたモデルたちのあり方、視線。「悲しみ」のような何かをあからさまに訴えるわけでもなく、かといって限りなく素に近い日常が切り取られたドキュメンタリーフォトのものとも違う。そのどこか曖昧でニュートラルな表現のおかげで、私たちは彼らと対等に向かえ合うことができる。真っ直ぐにより深いところを覗けるような気がする。それと同時に、彼らのレンと共に何かを創り上げようという姿勢も隠されずに私たちの目に伝わってくる。

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そのような真っ直ぐな繋がりはレン自身のなぜ裸体を撮るかという思いにも似ていたようだ。「綺麗だと思うから撮る」、「私たちの原点に近いものだから撮る」。彼はただそれに向かっていたのだろう、クリエーションという枠の中では。

逮捕、フィルムの没収

中国で性表現がタブーと見做されていることはよく知られている。男女の裸体や性器の写るレン・ハンの写真は検閲の標的となり、幾度もの撮影現場での逮捕やフィルムの没収、展覧会の中止などが強いられた。日常的な制作行為は監視され、彼は必然的にもニューヨークやアテネなどの海外で活動するようになっていった。そして自国の状況には反し、その評価は世界中で高まっていった。

そんな困難の中でも彼の自然体で穏やかな人柄に変わりはなかったと、生前の彼を知る者たちは語っている。世の中にはまわりの抑圧への反抗を原動力へと変え躍進するアーティストもいるだろう。しかしレン・ハンは数々のインタビューの中でも、政治的表現としての創作をしようとしたことはなく、自然にやるがままにやっていただけだと言っている。スキャンダルや逆境での彼の勇気を誉め称える声が彼の知名度を上げたことは事実ではあるが、彼の成功はやはり作品そのものの威力と、それを通して築かれた人間関係によるものであろう。

「彼にしか撮られたくない」

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レン・ハンは見知らぬモデルを撮影することを好まず、被写体の8割が親しい友人であった。日常で撮りたいと思い声を掛けた友人や、事前に話し合い分かり合えたと感じるモデル候補者のみと撮影を行っていた。その信頼のある関係の中で、現場ではその瞬間瞬間を楽しみながら浮かんだアイディアに沿って撮っていったそうだ。彼の写真への純粋な関わり方や、社会の抑圧にも負けず健気にそれを貫き通す様はモデルたちの心を打ち、彼にしか撮られたくないと思い始める崇拝者もいたらしい。

また、本誌は2017年12月に偶然にも彼のモデルの一人であった浦人方にインタビューを行ったことがあり、記事にはレン・ハンの写真も掲載されている。

そんな彼の才能は世界で求められ、GucciやFrank OceanによるZINE『Boys Don’t Cry』、『Numero』誌などとの多くのコラボレーションも彼は手掛けた。また、2013年には自国の巨匠アーティストAi Weiwei(アイ・ウェイウェイ)が自らキュレーションする展覧会『Fuck Off 2』にレン・ハンを導入し、絶賛したそうだ。世界では第二の荒木経惟かと見込まれていたが、29歳というあまりにも早い死に至った。

パリのマレ地区で

パリでは今月6日からMaison Européenne de la Photographie (ヨーロッパ写真美術館)にて、彼のフランス初の公式個展がCOCO CAPITÁNの個展と併せて開催されている。初日は美術館前に長い列が見られた。

この個展『LOVE, REN HANG』は当館の2階全体を占め、大きく分けて2つのセクションから構成される。一つ目は、シーツなどの白をバックにモデルたちが共にポーズをとり、肉体に密着した視線で捉られた写真がメインだ。中国では展示不可能と思われるものが多い。二つ目では、部屋の壁が赤く染められ写真もカラフルだ。モデルと色鮮やかな果物や動物が組み合わせられ、抽象的な模様を描いている。そして、レン・ハンの母親のポートレートがあることも見どころだ。二人で見つけたであろう少しキッチュで可愛らしいコスチュームや下着をまとう彼女からカメラへと結び着く視線が何とも言えない。部屋の奥の小さなスクリーンには元気そうにインタビューに応えるレン・ハン本人の笑顔も見られる。

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衝撃の死から2年経ちようやく落ち着きを取り戻した写真界は、今後さらに彼の作品を世界へ伝える機会を増やしていくのではないだろうか。日本での最後の個展は、2015年東京開催の『New Love』であった。次回もそう遠くないかもしれない。

池の底には

レン・ハンは重度の鬱病に苦しんでいた、2007年頃から詩や日記という形で投稿していたウエブサイトでは彼の悩む姿が垣間見れる。彼はそこで「毎年年が明けるたびにもっと早く死ぬべきだったと思う」と記しており、2年前には「今年こそは実現できることを祈る」と。また、まわりからは元気そうでとても鬱病には見えない、と言われてしまう空虚感についても語っていた。

自殺の発覚後、その死を中国当局との争いに結びつけた解釈も出回ったが、彼の残した言葉の中には検閲との関連性や、鬱病の発症原因などについては詳しく示されていない。彼にとって若いまま世を去ることは大切だったのだろうか。彼の想いは彼にしかわからない。

彼はこうも綴っていた。「もし、人生が底なしの深淵であるならば、そこに飛び込めば永遠の飛翔になる」。あなたはその池の底の向こう側で、自由を手に入れ大らかに羽ばたいているのですか。レッテルに意も介さず写真への信念を貫いたレン・ハンが望み選んだ死について、「ヌード = タブー」ではないが世俗的な既成概念に頼って悲しむだけでは見えないものがあるのかもしれない。そんなことを心の片隅に置きながら、これからも彼の素晴らしい写真を見続けていきたい。

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Ren Hang
1987-2017
Instagram:@renhangrenhang

© Knut Koivisto/Fotografiska, from www.taschen.com

【Infomation】
展覧会 « LOVE, REN HANG »
2019年3月6日~2019年5月26日
MAISON EUROPÉENNE DE LA PHOTOGRAPHIE(ヨーロッパ写真美術館)にて

UNTITLED © REN HANG from linsense.fr