【21Questions】「表現を続けた先にあるものが見たい」カワグチジンに聞いた21の質問

先日、カワグチジンのInstagramを拝見していたら夏目漱石の著作「草枕」を読んでいる様子であった。書き出しはこうだ。

山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。

智(ち)に働けば角が立つ。情に棹(さお)せば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角(とかく)に人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。

新潮文庫・夏目漱石「草枕」より

YouTubeというフィールドにおいて一成功を収めた彼は、カメラのレンズに蓋をした途端、自分が何者でもないことに気付いたという。インフルエンサー・カワグチジンとしての生きづらさを悟った彼は、表現を通して”本物”になることを選んだ。アルバムを聴いた方なら分かると思うが、久方ぶりに我々の前に姿を現した彼は随分遠くを眺めているようだった。彼の視線の先には一体何があるのか。JIN KAWAGUCHIの覚悟に迫る21問のインタビュー。

Q1:まず出身地と年齢をお願いします。

中野区出身、1993年生まれの26歳です。

Q2:どんな子供でしたか?

寡黙で、5歳まで喋らずおばあちゃんに心配されてました。
小学校になって机に座るようになってからは多動で、授業が受けられないくらい途中で席を立っちゃったり、持って来いと言われたものを持ってこられなかったり。宿題とかも1回もしたことなくて(笑)。気が散るというか何にでも興味を持ってしまうというか。落ち着きが無いのは今でも変わってないけど…。

Q3:へきトラハウス時代の動画で、母親について言及する場面があったと思うのですが。

あれは嘘(笑)。僕の理想とする姿を見せて、求められる自分を演じてたっていうだけなんです。なんとなく固まるまでそれっぽい感じを出して、大体自分のイメージが周りで固まってきたらそれを演じるっていう…。

Q4:初めてタトゥーを入れた時、お母さんに連れて行ってもらったというのは?

それも俺が描く理想のお母さんを話して、それを演じてたんです。共感の時代に照準を合わせてたというか。

-それこそインフルエンサーみたいな?

そう。インフルエンサーって、トレンドを追いかけている人たちがトレンドになれちゃう。不思議ですよね。例えばタピオカが流行って、タピオカを飲んでみようっていう動画をアップしただけでトレンドになれる。でも人々はタピオカの原料を作ってる農家の人たちや、それを加工した人たちには目を向けないでしょ。大衆が悪いって言うつもりは全然無いんだけど、消費者側がバカになっちゃってるというか。物事を考えられない、アピールできない、インスピレーション何も受けない人たちが増えている。そういう社会の流れに乗って自分を作っていたんです。

Q5:自分のブランディングを始めようと思ったのはYouTubeを始めてからですか?

始めてから思ったかな。やってるうちに、こういう感じでやればいいんだろうなっていうのがなんとなく分かって。それ通りにやったらそれ通りなんとなくの結果が得られたっていう。

Q6:学生時代バンドをやってたというのは?

それは本当。初めてビビッときたのがBLUE HEARTS(ブルーハーツ)だったんです。俺、こう見えて結構何事にも繊細で、だからこそバカになれるっていうのが唯一の救いだったの。何となく憧れて、普通じゃなくてもいいっていうのが救いだった。

-グランジも同じようなニュアンスですか?

そう。それでどんどん”音楽ヤバくね”ってなって、色んな音楽を聴いたんですよね。清志郎が好きになって、峯田が好きになって、The Smiths(ザ・スミス)とかDavid Bowie(デビッド・ボウイ)とかどんどん派生していって色んなもの聴いた。

Q7:ファッションを好きになったのはいつですか?

美容師だったから、なんとなく気を使わなきゃいけないっていうのが最初かな。着飾って、大きく見せるためのコンプレックスの鎧みたいな感じで。学生時代を生き抜くには何か持ってないといけないと思ってたので、自分のアイデンティティを探す点では一番とっつき易かったのかな。

Q8:憧れの存在はいますか?

今でも誰かに憧れ続けてて、影響された人も凄く多いと思います。Kurt Cobain(カート・コバーン)の身勝手さも好きなんだけど、Morrissey(モリッシー)の何でも言っちゃう感じも好き。モリッシーはなんとなく歌詞から読み取れるんだけど、どんなに成功しても惨めさを知っている。モリッシーの惨めさを知ってるからこそ、モリッシーを好きなことで俺は惨めじゃないって思える。俺にとってモリッシーは救いなんです。

Q9:解散から今日まで、何を想って何をされていましたか?

まず何かを作ろうと思いました。何かを作らないと一歩も進めない状態で、自分が空っぽだって知ったのはYouTubeを辞めた瞬間。何かを残さなきゃ、その先の考え方に行けないと思って、俺の中の本当に凄いなって思う人達から学ぶことにしたんです。三島由紀夫も、太宰も漱石もそうだし、ジブリも何でも見まくって。それである時デビッド・ボウイの50歳のインタビューを見たんだけど、「何か作るっていうことは僕の中でチャレンジすること。僕の顔を見てごらん、このシワの本数が僕のチャレンジした数なんだよ。」って言ってたの。”うわー!スゲー!”って、俺泣いたのその時。めっちゃ泣いて、よしやるかって。

 Q10:表現の場に音楽というフィールド選んだのは、デビッド・ボウイの影響が大きいのでしょうか?

正直、選べる余地があんまりなかったのかな。安直だったけど、チャレンジして作品を生み出そうと。デビッド・ボウイは(デビュー)当時宇宙人だって言われて、死ぬ間際でやっと時代が追いついたっていう感じだったでしょ。髪型を七三にして、キチッとジャケット着て、笑顔でインタビューに答える彼に、生涯勝てないの悔しいっていう見方もあって。”うわー!すげー!”っていう反面、”一生かかってもデビッド・ボウイに勝てないのかぁ”って。別に勝ち負けでもないんだけど。彼みたいに、インスピレーションを与える側になりたいと思ったんですよね。

https://www.instagram.com/p/B4jqpYhgOYv/?utm_source=ig_web_copy_link

Q11:シャッタートウキョウ(カワグチジン氏が営む古着屋)はオカモトレイジさんの助言で始めたらしいですね。

ちょうどデビッド・ボウイのインタビューを読んだ後だったから、近しい音楽やってる友達だとレイジくんかなぁと思って報告したの。「やめることになったんだよね」って。そしたら「へぇ、そうなんだぁ」「お店やってみたらいいじゃん、おもちゃ屋とか。おもちゃ屋好きなんだよね」って(笑)。俺も確かにいいなぁって。

Q12:元さんとのHELL Tシャツも面白かったですよね。

めっちゃ良いよね。ていうか元が好き(笑)。

あと好きな人で言ったら小袋さん。『分離派の夏』を音楽始めたぐらいのときに聴いて、年齢そんなに変わらないのに”本物の凄さ”みたいなものを感じて。あとdodoくんも好き。この前パーティーで初めて合って、「めっちゃ好きです」って言った(笑)。なんかくねくねしてたけど、ナイスな人だなぁと思って(笑)。

ヒップホップは今までしっかり聴いてこなかったんだけど、最近は聴くようになったかな。”この人何考えてるんだろう”っていうのを色んな角度から見る事ができる。で、嘘ついてない人が好き。そこで俺はdodoだったっていう。

(元/MOTO: TENDOUJIやTEMPALAYなど、シーンを彩る様々なアーティストも撮るフォトグラファー。)

https://www.instagram.com/p/BzcwUxqpNZ8/?igshid=bfkolazvz2uy

Q13:彼は嘘ついてなかった?

等身大でいいんだなって思えた。俺の時代は(自分にとっての)レジェンダリーと言えば清志郎・峯田・ヒロトだったけど、今の子達に必要とされている人って誰なんだろうと思ったらdodoなのかなって。多分、荒削りでも下手くそでも良いから、60%の初期衝動を真っ直ぐ伝えてるっていうことで、若い子は救われるでしょ。俺もそうだったし。そこで今の時代に必要なのはdodoなのかなって。

Q14:カート・コバーンは27歳で亡くなりました。26歳を迎えた今、彼の自殺についてどう思いますか?

あれは俺の中でまだ噛み砕けてなくて。(へきトラハウスを)辞めた時に、彼の気持ちがようやく分かった日があったんですけど、彼は遺書に「俺はフレディーマーキュリーみたいになれないし、大歓声の前でライブをすることに感動を覚えなくなってしまった。情熱が冷めてしまった。」みたいなことを書いてたの。それに彼はヘロイン中毒だったでしょ。「家族も自分の成功も今までのこと全部いらないからヘロイン中毒を治したい。」みたいなことを周囲の人に言ってたらしいんだ。

カート・コバーンと言ったら、みんな表面上の彼しか知らない。終わったからこそ、色んな人が振り返って喋るから、よりレジェンダリーになって昇華していく。そこにカッコよさも感じるし、変な話、そういう脆さにダサさも感じるのかな。だから、カート・コバーンにも憧れてるけど坂本龍一さんにも憧れていて。どんな表現でも、続けた先を見たい。何でまだやり続けるんだろうって思わない?商業的にはもうやらなくていいのに、それでもなお作り続けるのは何でだろうと思って。

Q15:アルバムのタイトルを『Cancer』にした理由は?

ずっと治らない(心の)”しこり”があるんです。それは誰しもあると思ってて、俺も気づいてたんだけど見て見ぬふりして生きてきた。ちょっと不謹慎かなとも思ったんだけど、芸術に不謹慎とか関係無いなと思って”癌=Cancer”にしました。ちょっと逸れるけど、”死”をみんな知ってるのに知らない。みんな”死”については知ってるけど体験したことも見たこともないでしょ。

-“Cancer”から間接的に死が見えるということ?

そう、そういうイメージ。何かを死ぬまでに残さなきゃいけない。自分にとってアルバムも、生きてきた証として残るものの1つです。

Q16:今作はKenta SaitoさんとMamiko Kanbeさんと作られたと聞いています。何故あのお二人とだったのでしょうか?

出会いは意外と古くて2年前くらい?技術的な部分はもちろん、精神的な部分でも共有できることが多くて、一緒に作ろうと。僕よりも僕のことを理解してくれているし、偏見がなくて、とても意欲的で野心的で、この人達なら間違いないと思えた。表現の部分で言えば、自分でも作曲は出来るんだけど、ありきたりなギターロックやヒップホップが出てきてしまうから、自分が今生み出せるモノとやりたいことは違うなと思って。

Kenta Saitoは大学在学中は電子音楽を研究していて、プログラミングによる表現も出来るし、アルバムを聞いてもらったら分かると思うけど幅が広い。Mamiko Kanbeも音大出身で作曲を学んでいて、コーラスワークや音選びがユニーク。面白い人達と近くでやっていると自分も凄く影響を受けるし、インスピレーションが湧いてくる。無敵になったような気持ちになれる。2人にはとても感謝しています。

Q17:「Deathblow Records」のスローガン”WE WILL GET THERE BEFORE DARK”にはどんな意味合いがありますか?

…内緒(笑)。考えてみて。

Q18:アルバムの最初のリリース形態が Google PlayとiTunes、CDでした。最初からストリーミング配信を行わなかったのはなぜですか?

CDの発売から10日間ぐらいでサブスク解禁したら、文句言われるかなとも思ったんだけど、買う人は作品をちゃんと評価して好きでいてくれているんだなって。期間を近くしたのも、リスナーの皆さんを気にしないで行こうっていう決意の一つなんです。それで文句言ってくるやつがいたら返金する。ほとんどタダで音楽が楽しめる時代だけど、本当に良いと思ったら買いたいでしょう。”物”にするっていうのは本当に好きな人に向けて、お待たせしましたみたいな感じ。

Q19:コラボしたいアーティストいますか?

これは夢を言う時間でしょ(笑)?坂本龍一さんか甲本ヒロトさんかな。

Q20:今後表現のフォーマットが変わる可能性も?

音楽は死ぬまでずっとやり続けるけど、やる中で音楽には盛り込めないことを、本や活字で表すかもしれない。ライターやコラムニストの人達にも凄く憧れるし、本読むのも好きだし、ZINEも好きだし、美術館行くのも好き。今まで表に出す機会があまり無かったけれど(笑)。

Q21:最後に、この1stアルバム『Cancer』をリスナーにどう受け取って欲しいですか?

受け取り方はそれぞれ違うと思うから、作り手の意図は気にしないでいいよ。真っ直ぐ受け取ってもいいし、考えながら聴いてもいいし、想像するもよし。色々なカラクリがあるからその謎解きゲームをするもよし、英詞を日本語に直訳するもよし、ちょっと変えて読み取ってもよし。色んな楽しみ方で聴いてほしい。

Photograpehr:Kazumi Watanabe
Interview&Text:Sora Imaizumi
Edit:Ayaka Yoshimura

JIN KAWAGUCHI 【リリース情報】

1st Album 「Cancer」

https://linkco.re/rvTrfzHt

カワグチジンがアーティストとして発表する、第1作目のアルバム。
制作期間に1年近い期間をかけ、様々なジャンル・サウンドのミュージックを収録し、幅のある1作となっている。
彼の苦悩や本質的な部分が歌詞・音となり、渾身の一撃を届けるであろう。