”ASIAN STREER FASHION(アジアンストリートファッション)”のグーグルにおける検索結果は約 4億件以上にも昇る(2020年2月現在)。それだけアジアとストリートファッションという結びつきの強さは世界的に認知されているということである。
ではアジアンストリートファッションと聞いて人々は何を思い浮かべるのか。その本質に迫ってみたいと思う。
ムーヴメントのはじまり
アジアンストリートファッションとは”ムーヴメント”であると思う。日本語で言うところの”ムーヴメント”とは、世の中に在る動きや流れを指す。 かつてここ日本にもファッション業界における一大ムーヴメントが巻き起こった。裏原ブームである。
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1990年代、原宿から表参道エリアには若者向けの大手セレクトショップなどが乱立する中、竹下通りや表参道沿いの高いテナントでは出店できない若きデザイナーたちが、裏原宿に店を構え始めたことにこのブームは起因する。象徴的なのは、UNDERCOVERのデザイナー・高橋盾(たかはしじゅん)氏とA BATHING APEのデザイナー・NIGO(ニゴー)氏が中心となりオープンしたセレクトショップ『NOWHERE(ノーウェア)』など。他にも後世に名を残す伝説的なブランドが数多く誕生し、そのブームを牽引した。
これに似た流れがアジアという世界最大の大陸を基盤に起こりつつある。それがアジアンストリートファッションなのだ。
アジア全土から
韓国でファッション業界が人気を博していることをご存知の方は多いかと思う。詳しくないにしても、MCnCHIPs(メッケンチップス)やADER Error(アーダーエラー)、VIVASTUDIO(ビバストゥディオ)他、聞いたことのあるブランドもいくつかあるのではないだろうか。
しかし他のアジア諸国からデザイナーズブランドが立ち上がり始めていることまで知っている人は少ない。タイ、インドネシア、シンガポール。日本からも多数旅行者が向かう彼の地に、ファッションの波が起こり始めている。そのそれぞれをデザイナーズブランドと定義できる要因ははっきりと存在する。単なるハイファッションの模倣を、生産国として安価で作るのでなくて、それぞれのカルチャーや地域性、デザイナーのバックグラウンドを存分にプロダクトに落とし込むことに取り組んでいる点である。
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アジアには生産国としての背景があり、今なおその印象は強く根付いている。そこには必ずしも清潔な暮らしがあったとは思えない。むしろどこまでもリアルなストリート暮らしがあったと想像することの方が容易だ。この背景がラグジュアリーストリートブームによって、ファッションという形で引き出された。それぞれのストーリーがあり、そのどれもが輝きに満ちている。海外旅行の動機が他人のストーリーを知るためなのだとすれば、それが服という繊維の集合から感じ取れることは、美しい限りではないだろうか。
裏原ブームは2000年代半ばになると、その熱気も落ち着いてはきたが、かといって完全に消え去ったわけではない。今もその名を残すブランドは多数あり、デザイナーたちも看板を変えたりしながら現在も活躍を続けている。アジアではその域を大陸全土に伸ばし、同世代のデザイナーたちによって同じようなムーブメントが巻き起ころうとしている。そんな史上最大のファッションムーヴメントとも言えるアジアンストリートファッションからは、もはや目が離せない。