POSTED ON 2020年3月24日 1 MINUTE READ BY Sora Imaizumi
Daichi Yamamotoの1stアルバム『Andless』のレビューをリリース当時に執筆した。その”溢れんばかりの吐露”とも形容できるアルバムは、(私を含めた)多くの人の胸を打ち、Daichi Yamamotoは日本語ラップシーンにおいて確かな地位を築いた。目の前にした彼の印象はというと、鋭利さや切迫した空気感はまるでなく、むしろ柔さをまとっていたと言っていい。クールな立ち振る舞いや言動とは裏腹に、愛に溢れた彼の人格に問う21問。
Q1:まず出身とご年齢をお願いします。
京都府出身の27歳です。
Q2:お父さんが京都メトロ(京都の老舗クラブ)のオーナーでらっしゃいますよね。幼い頃から音楽に親しんでいたのでしょうか?
割と活発な子ではありましたが、音楽に関してはその頃はそんなにですね。
Q3:今でも京都に住んでらっしゃるそうですが、地域性のようなものを大事にしようという心意気はありますか?
そういう気持ちはあんまりないですね。ただ住みやすいからいるっていうだけで。
Q4:大学時代にロンドンに行かれて、その後京都に戻ったのは何故ですか?
本当はロンドンに住もうかなと思っていたんですけど、ビザの関係でそれが叶わなくて。日本戻って東京に住むことも考えて、今は京都でとりあえずいいかなっていう。やっぱり住みやすいですし。
Q5:お好きなファッションブランドはありますか?
ファッションは結構疎くて…。ブランドとかはあんまり気にしてないですね。
Q6:HELLY HANSEN(ヘリーハンセン)のモデルなどをされていますが、そういった扱われ方は好意的に受けとっていますか?
そうですね。HELLY HANSENは好きなブランドでしたし、もちろん好きではないブランドはやらないです。それぐらいの線引きですね。
Q7:近年海外のラッパーが亡くなるニュースが多いですが、その辺りはどのように感じていますか?
結構昔から亡くなっているイメージはありますね。そういう悲しいニュースが無くなるに越したことはないんですけど…。ヘリコプターの事故でKobe Bryant(コービー・ブライアント)が亡くなったのは、一番衝撃だったかもしれないですね。
Q8:Daichiさんは、バスケットボールをやられていたんですよね?
元々バスケやってて、コービーは大好きだったんで、より現実味がなかったというか…。死んだって聞いて結構びっくりしましたね。生では見たことないですけど、ずっと好きだったんで。スポーツ選手以前に、人格者的という面でも憧れの対象だったのでショックでしたね。
Q9:大学時代についてお聞きします。当時はどの様な作品を作られていましたか?
インスタレーション的な感じで、音を使ってプログラミングしたりしていました。音源を配信するとかでは無く、場所を構えてって感じでした。
Q10:そこを通して、表現したいものがあったのでしょうか?
難しい感じのコンセプチュアルなものは、前は好きだったんです。大学で自分が表現する上で、そこは違うんじゃないかなって思い始めました。そこから、分かりやすくみんなに伝えるところを意識する様になりましたね。メッセージがあったとしても”世の中を救おう”みたいな大義とかそういう感じじゃなくて、もっとシンプルなものでやっていました。
Q11:今、ラップやビート以外で表現をしたいという欲はありますか?
とりあえず音楽が出来てからかなと思ってます。他の表現もやりたいと思ったりもしてるんですけど、いつか出来たらいいかなくらいに思っています。
Q12:ヒップホップの入り口は洋楽だと思うのですが、日本語ラップを受け入れていく過程の障壁などはありましたか?
そもそもアメリカのラッパー全部好きってわけでは無いので、日本のラッパーもそれと同じ感じでした。最初は好きなラッパーが見つからなかったんですけど、聴いているうちに「あ、この人良い。この人良い。」みたいな感じがどんどん繋がっていく感覚だったので、そこまで障壁は無かったですね。
Q13:アーティストとして活動する上で、メジャーになりたいという願望はありましたか?
ある程度は認知して貰いたいと思っていましたね。”売れたいからやる”ということでもなかったんですけど、やるからにはある程度売れたいっていうマインドでした。
Q14:認知してもらうために、まず何をされたのでしょうか?
好きなアーティストに自分からよく曲を送ったりしていましたね。周りで音楽をやっている人が少なかったので、とりあえず知ってもらおうっていう心意気でした。
Q15:今のレーベルとはどういったきっかけで出会われたのでしょうか?
色んな人にコンタクト取ってる時に KOJOEさんと出会って、その担当だった方とメールのやりとりが始まって…、という感じですね。
Q16:その時点でご自身の作品は発表してたんですか?
してなかったですね。でもSound Cloudに曲をあげてたのと、Aaron Choulai(アーロン・チューライ)っていうビートメイカーといくつか曲を作ってはいました。
Q17:普段、楽曲に対するインスピレーション源は何でしょうか?
特にこれだけっていうのはあまり無いですね。色んなところから引っ張ってきます。本読んだり、映画を見たり、人と喋ってみたり、ご飯食べに行ったりして思ったことがインスピレーションに繋がります。普段から色んなことをメモに残すようにしています。
Q18:2月8日に新曲「Butter」をリリースされましたが、Sound Cloud限定での配信にした理由は?
ビートとラップしてるdhrma(ダーマ)と日々やり取りしてて、セッション感覚でずっと一緒に作って来ました。…なんでSound Cloudだけなんでしょうね(笑)。dhrmaに音源渡して、「どうすんの、これ?」って聞いたら「Sound Cloudにあげます」って。特に意識してサブスクリプションを避けたってわけじゃないですね。
Q19:アルバムや曲の制作&リリース意欲が高まるタイミングはありますか?
なんか凄く書けそうみたいな、曲を作りたいっていうタイミングはあるんですよね。そのタイミングが続いて、気づいたら曲が溜まったから、アルバム出そうみたいな流れですかね。『Andless』はそんな感じでした。
Q20:今までで一番印象的なステージは何ですか?
やっぱり京都でやった時の(『Andless』の)リリースパーティーですね。それこそメトロでやったんですけど、思ってたより人がたくさん来てくれて、印象深かったです。
Q21:東京のリリースパーティとは違いましたか?
違いましたね。聴いてくれる人の雰囲気とか、盛り上がり方は一緒だと思うんですよ。たぶん地元の人であることや、飛んでくる野次とかにも温もりがあって、他では出せないアットホームな感じが嬉しかったですね。
Photographer:Cho Ongo
Interview&Text:Sora Imaizumi
【プロフィール】
Daichi Yamamoto
1993年京都市生まれのラッパー/アーティスト。
日本人の父とジャマイカ人の母を持つ。2012年からロンドン芸術大学にてインタラクティブ・アートを学び、大学在学中にSoundCloud上に発表した音源を呼び、JJJ(Fla$hBacks)やAaron Choulai、Kojoeらとコラボした楽曲を続々と発表。
2019年9月、Jazzy Sportsより1stアルバムとなる『Andless』をリリース。VaVaとの「Los Location」、中村佳穂をフィーチャーした「Crystal」などハイライトだらけの集大成的作品は、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文が設立した「APPLE VINEGAR-Music Award」にもノミネートされるなど、各方面から絶賛されている。
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