これを読んでいる読者の中には裏原系と聞いて懐かしく思う人もいれば、何それと思う若者もいるのかもしれない。
裏原系とは1994〜2005年頃に起こったムーブメントなのだが、今となっては当時が嘘かのようにめっきり聞かなくなった言葉である。
裏原では当時何が起こっていたのか。
90年代後半から2000年代初め裏原系と言えば人気アイテムのプレミア価値が付きオークションや転売サイトでは倍近くの高値で取引され、それを求めて朝早くからお店の前に行列が出来ていたのが想像出来る。
時には見るからに分かる転売業者やホームレスにブランドを着させて列に並ばせるという事も。
しかし、需要の割合に比べ遥かに供給の数が少なく長時間並んで結局買えないという事も普通であった。
実際私も人気アイテム発売日や元旦初売りに並びに行ったことがあるのだが全盛期には数百人という人が集まり規制がかかる事もしばしば。
更に今とは違いネットショッピングが盛んではなかった為、実際にお店へ足を運ばないと手に入らないのが当たり前だった。
裏原系と呼ばれるブランドとは?
そもそも裏原と呼ばれるようになったのは竹下通りが栄えており賃料が高かったため自分のお店を出す事が出来なかった若者が今の位置に店を構え始めたのが始まりである。
そしてこの裏原の歴史を作り上げたと言っても過言ではないのが、
GOODENOUGH(グッドイナフ)藤原ヒロシ、A BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)NIGO、UNDER COVER(アンダー・カバー)高橋盾だろう。

藤原ヒロシ氏はそれまで首元に付いていたタグを袖口に付けた最初の人物であり、Nike(ナイキ)に携わっていた事もありスニーカーブームの火付け役。
裏原を語る上では切っても切り離せない超重要人物である。

2002年に放送された番組内でのインタビューでNIGO氏はこう語っている。
「この時代の若者は雑誌で見ていて、なかなか手に入れる事が出来なかったアイテムを自分の手で作り出そうという熱量をもっていた」
余談ではあるが、NIGOの名前の由来は「藤原ヒロシに似ているからお前2号(二ゴー)ね!」という知り合いの一言からきている。
雑誌とファッションアイコンの存在
初期には雑誌に店舗情報が載らないほどの位置付けだった裏原系ブランドがここまで成長したのにはファッション雑誌とアイコン達の存在が大きかった。
私は当時ストリートブランドの特集やSNAP等を取り上げていた『Ollie』や『STREET JACK』、
そして数多くの美容師がモデルとなりファッションの情報を発信しその中でもKINGと呼ばれ人気を博していたヘアースタイリスト奈良裕也さんで有名だった『CHOKICHOKI』等
この頃の事を知っている人なら誰もが1度は手に取った事がある雑誌を買いあさっていた。
これらの表紙には若者に人気のミュージシャンや俳優が登場し、毎号誰がどのブランドで登場するのかも楽しみの1つあった。

また、木村拓哉がドラマの中ででAPEのダウンジャケットを着用しブームに火をつけたのはあまりにも有名な話。
しかし少しずつ変わっていく裏原
そんな裏原ブームにも変化が訪れる。
2000年に入ってくるとUNDER COVERはパリコレ参加、APEはNYへ出店と少しずつ裏原から世界へ進出していくようになる。
そして生活の一部にネットショッピングが当たり前となる時代が到来、誰でもどこにいても欲しい物が手に入るという状況になっていく。
一見、良い傾向のように思えるかもしれないがここから変わっていったように思える。
先ほども挙げた雑誌『STRET JACK』も今までのストリートブランド一色で固めた内容からゆるカジ(サロン系)など綺麗目で細身のラインを取り上げるようになり路線が変わっていった。
更にはこれに拍車をかけるかのように、2008年ファストファッションが海外から参入してきた事により安い価格でオシャレが楽しめるようになっていくと同時に韓流ブームにより奇抜なファッションが人気になってくるようになると一層裏原系ブランドは影を潜める事になっていった。
そしてここ数年を見るとストリートブランドSWAGGER(スワッガー)の倒産と共に、ランウェイにてコレクションも発表していたPHENOMENON(フェノメノン)のデザイナーオオスミ氏の退任、APEが巨額の負債を抱え香港の大手アパレル企業に肩代わりという形で売却など悲しいニュースが多い。
現在の裏原
私も2000年初めの人気から現在まで原宿を見てきたが、まず新しい物が生まれる気がしないというのが正直な印象だ。
今となっては裏原に渋谷で見られるお兄さん系のお店まで数多く出店をみせており、めっきり変わってしまっている。
個人的に1番悲しいと思った事が、大学生が選ぶ好きなブランドランキングにファストファッションが上位を占めていた事だ。
その理由として安さに対してクオリティが高く安く見えないという意見があった。
また、現在では定着しているものの裏原系ブランドのTシャツの相場は6000円前後、パーカーだと2万を超える事もあり学生からするとよっぽどのファンではない限り手を出すのが難しい価格帯になっているのも原因の1つだろう。
そしてここ数年で一番驚いたのがAPEに列が出来ていると思い覗いてみるとその大半がアジア圏から来た旅行者で日本人の姿が見られなくなった事だ。
これは原宿に限った事ではないのだが、自分がまるで海外にいるような錯覚に陥るまでになっているのは事実である。
そして、今の若者は既に出尽くされ物が溢れかえった中でファッションに触れるため自分が自ら生み出さなくても容易に楽しむ事が出来てしまっている。
こんな状況において、この裏原ファッションを盛り上げてくれるブランドを紹介させて頂きたい。
C.E(シーイー)

裏原を築き上げたGOODENOUGH、A BATHING APE等のデザインを手がけた、SKATE SHINGことスケシン。彼は裏原の当時と今に精通しており2012年より自身のブランドをスタートする事になる。
Diaspore Skateboards(ディスアポラ・スケートボーズ)

2010年にスタートした若手スケートボードクルー。彼らはスケーターのライディングを撮影し、その動画に今若者に人気のHIPHOPグループFla$h BackS(フラッシュバックス)のKid Fresino(キッド・フレシノ)等、若手をミュージックディレクターとして起用し発信している。
更には近年BEAMS Tにも取り扱いが始まっている注目のブランドである。
TENDER PERSON(テンダー・パーソン)

YashigeYutoとBiancaの2人によるブランド。
2014年服飾学校在学中にブランドを立ち上げ「美しさと繊細さを兼ね備えたシンプリティの追求」をコンセプトに精力的にコレクションを発表している。
そのクオリティの高いLookbookや一目見たら引き寄せられる洋服の美しさを1度みなさんにも味わってもらいたい。
PROPERPEDIGREE(プロパーペディグリー)

2013年にNOXINとISHIKAWAよって設立されたこのブランドは『MODE×STREET』をコンセプトにウェアデザインを始め音楽、映像、空間までを手掛けているクリエイティブクルー。
様々な分野で活躍しているだけあり、デザインはシンプルながらもしっかりコンセプトを服に落とし込んでいるのが特徴である。
新しい物を生み出すと時、人にどう思われるかではなくまず自分がどうしたいかが重要である。
私は、この裏原でムーブメントを起こす事が出来れば世界へ発信することも可能だと考えている。
彼らのクリエイションによりまた裏原のストリート、日本のファッションシーンに活気がもどる事を楽しみにしている。
そして、最後まで読んでくれたあなたが新たなムーブメントを起こしてくれる事を切に願う。