【世界で活躍する日本人#1】一流ファッション誌の表紙なども手がける注目のヘアスタイリスト 中島 潤也

世界に飛び出し、厳しい環境の中で自身のクリエイションに情熱を注ぐ日本人クリエイターを紹介する企画『世界で活躍する日本人』

今回はニューヨークで活躍し、Vougeなどの一流ファッション誌の表紙も手がける、ヘアスタイリストの中島 潤也さんにお話を伺った。

 

中島 潤也(なかしまじゅんや)

兵庫県出身。日本で美容専門学校を卒業した後、18歳にて渡米。ニューヨークのヘアサロンにて下積みした後、ファッションシューティングを手がけるヘアスタイリストに。現在はVogue.、Elle、Harper’s Bazaar、NYLONなどの雑誌や広告を手がける他、ヨーロッパのコレクションにも参加している。

公式HP http://www.junyahair.co公式instagramアカウント @junyahair https://www.instagram.com/junyahair/

 
ーーいつからニューヨークで活動されていますか?

神戸の美容専門学校を卒業してすぐ、18歳から。約12年います。

ーーヘアスタイリストになろうと思ったきっかけは?
 
中学を出て高校を中退になり、進路を迷ってるときに母親に「美容師になるか、介護士になるか、選べ」と言われて、美容師の方がモテそうだな、と思ったのがきっかけです(笑)。

ただ、やるからには本気でやると決めていました。親にお金出してもらってるし、自分は勉強もできない。専門学校時代から、これしかない、という覚悟でやってきましたね。

ーーなぜ日本ではなくニューヨークに?
 
もともと黒人文化が好きでレゲエやヒップホップをよく聴いていて、専門学校でも特殊系というドレッドやアフロをやっていました。

学生時代は「アメリカ行きたいアメリカ行きたい」って言い続けていましたね(笑)。

卒業後、東京で仕事を探したこともあったのですが見つからず、どうしようかなと考えていた時に、専門学校の時の同級生がニューヨークのサロンでアシスタントを探してる、ということを聞きつけて、それに飛び乗りました。

 
ーー英語はどのように身につけられたのですか?
 
ニューヨークに行くことが決まってから1冊フレーズブックを買って、それをまるごと全部覚えました。

覚えた文章を実践で使っていって自然と身につけた感じですね。慣れるまでに1年以上かかりましたが(笑)。

 
ーーでは最初サロンのアシスタントからスタートされたのですね。雑誌やファッションショーのお仕事はどのように作っていかれたのですか?
 
サロンで働きながらベースとなる技術を身につけてきました。今でも1日1日勉強させて頂いています。

ある時クライアントの人がメイクアップアーティストを紹介してくれて、『Karin+Raoul』という小さい雑誌の撮影で使ってもらって、そこから少しずつ、いろんな方から声をかけてもらい仕事を広げていきました。

あの雑誌、今もあるのかな?

ーーすごいバイタリティですね!声をかけて実際に仕事につながるのはどのくらいの割合ですか?
 
大変ですよ(笑)。感覚でいうと100声かけて3仕事になるかな、という感じ。

それの繰り返しですね。

 
ーー最近ニューヨークだけでなく、ヨーロッパ、アジアのお仕事も増えているようですが、こちらはどのようなきっかけで始められたんですか?

ヨーロッパ、アジアの雑誌といっても使うモデルさんがニューヨークにいる時に撮影は行われます。

なので、ヨーロッパ、アジアの雑誌、ブランドと言ってもニューヨークで撮影する事は多々あるんです。
 
 
ーーなるほど!有名なモデルさんと接して緊張しませんか?

全員可愛いですけど緊張はしないですね、仕事なんで(笑)。

現場では、自分が何ができるかいつも意識を張り巡らせてます。

ーー失礼しました(笑)。現場ではどのようにお仕事されていますか?
 
雑誌やコレクションの全体的なムードがあるので、そこに合わせつつ、それだけだとつまらないので、自分が持っていきたい方向を、フォトグラファーやスタイリスト、エディターに提案して、話し合いながらつくっていきます。

デザイナーがしたいことを察する力と、自分しかできない表現を入れ込む力、両方が必要ですね。


 
 
ーー当初は特殊系からのスタートとお伺いしましたが、現在の作品はナチュラルなものからガーリィなものまで多岐に渡ります。様々なヘアスタイルに対応できることが、仕事を増やすのに必要だと思いますが、どうやって幅を広げられたのですか?
 
他の人の作品をすごく見るようにしてます。過去の作品で一通り色んなヘアスタイルは出揃っているので、昔の雑誌などいろんなものをリサーチして、自分の引き出しを増やす努力はしてますね。 

ーー求められることに応えていくことが得意なようにお見受けしましたが、ご自身が表現したい世界はありますか?

どんな仕事であれ、常に意識しているのは、自分の持ってるものを出すことで、自分の仕事とわかるようにしたいですね。

ーー今までのお仕事で1番気に入っている作品はどちらですか?
 

4年前、ファッションシュートをはじめた頃につくったポートフォリオ向けの作品です。

何も考えてなかった頃、「めっちゃおもろいやん!やったれ!」という勢いで作ったものを、なかなが越えられなくて悔しいです(笑)。

あの頃の勢いがない変わりに、ディテールはきちんとしようと気をつけてます。

 
ーー仕事をしていて一番楽しい瞬間はいつですか?
 
撮影後、写真があがってきた瞬間ですね。自分の仕事を、手にとって肌で感じることができる。

これは感動ですね。あと、昔から好きだったモデルと仕事できる時は興奮しますね(笑)。

ーー日本人で得したこと、損したことはありますか?
 
うーん。(しばらく考えて)損したことはないですね。得したことは沢山あります。

日本人は器用でマメ、というイメージがあるので、最初から信頼された状態で仕事をスタートできる事もあります。私自身はおおざっぱなんですけどね。

ファッション業界、日本人がとても多いですね。細かい作業が得意なんだと思います。
 
 
ーー日本に帰るご予定はありますか?
 
ベースを移す予定はないですね。

ただ、専門学校で講師もしてますし、日本のアーティスト事務所の所属も考えているので日本での仕事は増えていくかもしれません。

 
ーー日本とニューヨークの違いは?
 
日本でやっていると日本の中で終わってしまう。

そう言うイメージが自分の中にあるのに対して、ニューヨークにいれば、世界と仕事ができる。世界的に有名なフォトグラファーやモデルと仕事をするチャンスが沢山ある。

そこが一番の違いだと思います。

 
ーー逆に他の国に行く可能性はありますか?
 
今でもパリやミラノのコレクションに参加しています。

それこそ世界トップのクリエイターたちと、一流ブランドのコレクションに参加するのはとても面白いです。

やはり学ぶ事はいつになっても沢山あります。

 
ーーニューヨークとパリやミラノの違いは?
 

ニューヨークはリテールがメインなので、売ってなんぼの世界。

結果、スタイルもナチュラルなものが多いんです。マーク(Marc jacobs)、ジェレミー(Jeremy Scott)以外は。

それに対してヨーロッパは、ギャルソン(Comme des Garcons)やマルジェラ、(Maison Martin Margiela)などエッジの効いたばんばん攻めているスタイルがあったり、もっとクリエイティブ、アーティスティックで面白いですね。

 
ーー2017年のヘアトレンド教えてください。
 
この質問ね……(苦笑)ファッション業界にトレンドってないんですよね。

大切なのはそれぞれのコレクションのテーマで、言ってしまえば全部がトレンドです。

ーーこれからの目標、夢はありますか?
 
自分の中で、ヘアスタイリストとして精進して行きたいですね。

自分のスキルを上げて、世界に繋がる仕事がして行きたいです。

 
ーーこれからニューヨークを目指す若手クリエイターに対して一言。
 
「誰でもできると思うよ」

僕がやってる事ぐらいは、誰でもできますね。ただ、自分の将来像をきちんと描くことが大切だといつも考えています。

僕もあまり得意ではないですが、関係者にはきちんと連絡を取って、やりたい、ということは伝えます。ニューヨークって得ですよ。日本では考えられない、世界の仕事が幅広くできます。

 

兵庫県出身、関西弁を話し、一見地元にいそうな飾らない人柄だが、やっている仕事は最高にクリエイティブ。このギャップが中島氏の凄さだ。

「俺でもできたんやから、誰でもできるで。」と笑いながら、その行動はパッションとスキルがないとできないものばかり。

雑談の中で出てくる、フォトグラファーやモデルの名前も超一流で驚いた。

きっと彼の嘘のない人柄と、人とは違うことをしたいというパッションが、トップクリエイターたちに愛されているのだと思う。

海外で成功したいなら、頭でっかちではいけない、バイタリティが必要だということに改めて気付かされた。