【連載 -第3話-】Faline Tokyoオーナーとして、一人の女性として。Baby Maryの生き方

原宿シーンにおけるトレンドを築き、ファッションアイコンとして知る人ぞ知る存在であるBaby Mary。
 
東京内で最も感度の高いセレクトショップのひとつである『Faline Tokyo』のショップオーナーである彼女の幼少期にまつわるエピソードから、Faline Tokyoの創業時やショップコンセプト、Faline Kidsや原宿、SNS時代に思う事を我々に語ってくださった。
 
本日は、Faline Tokyo デビューと、原宿カルチャーについての3話。
 

第1話:ファッションとの出会いは昼下がりのディスコで

第2話:18歳頃、パリコレのインビテーションをもらう

 

東京にFalineをオープンしたきっかけ

 
マラヤン•ペジョスキーが歌手のMISIAの衣装を手がけていて三カ月くらいに東京にいた時に、私も東京に通うようになったの。

そのときに東京のムーヴメントを感じて、「今東京で Falineをオープンさせるといいかも」って思った。
 
その1年ぐらい前から、名古屋にいたReikoバニーが彼氏と先に上京していて、私に「Maryちゃん、絶対Falineを東京でもやるべきだって!東京にああいうお店ないもの」ってずっと言ってくれてたの。

「じゃあ、Reiko一緒にやってくれる?」ってそれをきっかけに私は東京に、Faline Tokyoをオープンしたの。
 
彼女が気づいてくれていたのよね。

 

Faline Tokyo開店当初と今の原宿の違い

 
Faline Tokyoオープンと共に、派手なファッションが威勢よく原宿の街をカラフルにしFRUITS マガジンが大ブームを巻き起こしていたわ。
 
Faline Kidsが常連でJEREMY SCOTT(ジェレミー・スコット) を着こなしたみんなのお洒落を見るのも楽しかったし、誰が載っているのか毎号ワクワクしていたわね。 奈良裕也のファッションをみんなが真似してた。 
 
あたしの若い頃も同じようにSTREET マガジンが毎号でるのを楽しみにしていた世代で、情報の少なかった時代にロンドンやパリのお洒落な人達のストリートスナップを見ては憧れたわ。
 
そんな私も全身Vivienne Westwood(ヴィヴィアン・ウエストウッド)に身を包み、パリコレ会場で編集長の青木さんがカメラ向けてくれたことや、外人しか載っていなかったSTREETに載せてもらったり、表紙にしてもらったことが自分のルーツだと思っているの。
 
セルフィーで育った今の原宿Kidsにも選ばれて撮られる快感を伝えていけたらいいなと。

2/14 恒例のFaline Tokyoヴァレンタインパーテイーに、気が向いたらカメラをもって遊びにきていただけないかなと青木さんにお願いしたら快く「寄りますね」と。
 
時代は変化しつつ繰り返すので、今の原宿とうまくハーモーニーを醸し出す一夜になるはず。
 
今はお洒落の質がちょっと違うというか、あの頃と一番の違いはやはりファストファッションだと思うわ。目立って何か違うとなるとね。 

FalineKidsも、それが当たり前の時代に育っているので、そこがまるで違うわね。  
 
Faline Girlsとの過ごし方も以前のものとは違って、一緒に楽しんで遊んで感覚で理解していくのが難しそう。

なにが違うって 『デジタル時代の若者』の種類がちがうのよ! (笑)

 

原宿にはどういう人が集まる?共通意識はあるのだろうか

あると思うわ。

Faline(私)が発信してきた “東京KAWAII” と言われるカルチャーも同時期に一緒に今の東京を作ってきたクリエイテイブな仲間達が一緒に成長していて日々刺激しあっているの。
 
モデルのElle-Rose(エリーローズ)の家に集まったり、Saramary(沙羅マリー)とお茶したりもするし、パーテイーで会う事が多いけれどプライベートもつながっているわ。

Falineには世界から訪れるFamilyがいるので紹介すると、FAFI (ファフィ)彼女は 素晴らしいグラフィテイアーテイストで、私がN.Y. まで追いかけて絵を買ったの!

それからずっとFalineの世界観を描き続けてくれているわ。
 
Olympia Le-Tan(オリンピア・ルタン)も18年来の仲良しよ。

アンドレに声をかけられて遊びにいったパリの彼等のお家で一目惚れしたハンドメイドのバックが そのときから並んでいて、ずっとみんな大ファン。
 
Charlotte Olympia(シャーロット・オリンピア)は、デビュー前からの共通の友達CORTO MOLTEDO(コルト・モルテド)の家で出逢ったの。

ブラジリアンの血を引く彼女は、明るくてクールで気が合うわ。 

最近では Harley Viera-Newton(ハーレイ・ビエラ・ニュートン)という今をときめくIT GIRL が東京が大好きで、結婚式もここであげたいというぐらい!

早速MissfalineでPOP-UPをしたら、たくさんの女の子が集まってくれたわ。
 
彼女達の「東京が好き」という感覚は私たちにおける「可愛いものが好き」という感覚に近いと思うの。

みんな東京に来た時は Faline に集まる Family よ。
 

FalineはFalineで、この13年間で仲良しの皆と団結してきたからこそ、今あるカルチャーを築いてこれたのだと思うの。

その私たちの連帯感のなかで、ル・バロンも8年くらい欠かせない場所だったわ。

うちが開店してから何年か遅れでアンドレがお店を出したの。

そのお店がうちとうまくシンクロして、Falineは周年パーティは毎年ル・バロンでお祝いしていたのよ。

今は残念ながらなくなってしまって、「やっぱりル・バロンがあるといいよね」って人の声が増えてきている。
 
ル・バロンを知っている世代 知らない世代が 一緒に東京のカルチャーをミックスして盛り上げることができるような場所・空間が原宿にとって必要よ。

 

モードとストリートの違い

 
Falineはもともとその2つが同時に存在していたかも。

けれど、両方もちろん全く違うものだわ。

ストリートは、やはりストリートで生きてきた人のファッションだと思うの。

うちにはBambiというお店があって、そこはストリートで遊んでいる男の子たちの昼間の憩いの場所となっているわ。

勤めているスタッフはサーフィンやスケートボート、バスケをやっていた子がいて、とにかくストリートと生き様が一緒の子たちがやっているお店だから、扱っているブランドも違うし。
 
意外と思われるかもしれないけど、Vansとかも扱っているのよ。藤原ヒロシさんたちに憧れた世代の子がやっていて、そういうのが永遠に好きだから。
 
そんな彼等をみて、また若い子たちが「かっこいい」って真似をしてDJ をはじめたり。

私はね、ストリートボーイズがとても好き。

前の彼が、ストリートのハーフコートでプレイするバスケットを見ているのも好きだった。

私の旦那様もストリートボーイズだし、やっぱりそういう雰囲気が好きなのね(笑) 
 
ストリートカルチャーもSupremeとルイ・ヴィトンとのコラボで盛り上がりそうよね。

アーティストディレクターである KIM JONES (キム・ジョーンズ)は昔からの友達で、デザイナーになる前にそのころロンドンにあったトレードってクラブでよく遊んだんだけれど このコレクションが発表された後「やったね!」って連絡したら喜んでいたわ(笑)

彼が最初にストリートをラグジュアリーに持ち込んだ人物だから、彼がやって当然だったと思うし、本当に完璧なタイミングだったわ。

 
ファッションに関して、あまり偉そうな事を言うつもりはないの。

でも私は、ファッションはゲイボーイズや華のあるガールズとかと繰り広げる夢の世界だと思っているから、BambiのストリートカルチャーとファッションがミックスされているFaline Tokyoは独特なお店かもね。
 
4話に続く……。

 

第1話:ファッションとの出会いは昼下がりのディスコで

第2話:18歳頃、パリコレのインビテーションをもらう

第3話:Faline Tokyo開店当初と今の原宿の違い

第4話:Baby MaryのSNS論

第5話:Falineのこれからと今後セレクトショップを開こうと思っている人に向けて

 

Faline Tokyo 設立日である2月14日 Valentine’s dayに記念パーティを開催!
『Valentine Greetings Party』
日時:2.14 19:00-24:00
場所:Faline Tokyo