POSTED ON 2017年3月20日 1 MINUTE READ BY SIXTYMAGAZINE TEAM
世界に飛び出し、厳しい環境の中で自身のクリエイションに情熱を注ぐ日本人クリエイターを紹介する企画『世界で活躍する日本人』
今回は現在ニューヨークを拠点に世界に活躍の場を広げているジュエリーデザイナーの奥田浩太さんにお話を伺った。
奥田 浩太(おくだ こうた)
新潟市出身のジュエリーデザイナー。
ロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズカレッジにてジュエリーデザイン科学士号を取得、最優等学位で卒業。在学中、ヨーロッパ最大のファッションコンテスト・ITS(インターナショナル・タレント・サポート)のジュエリー部門においてグランプリを獲得。
現在、ニューヨークを拠点に、オリジナルブランド「KOTA OKUDA」のジュエリー制作に加え、ファッションブランドとのコラボレーションの二軸で活動中。昨年末から年始にかけて伊勢丹新宿で自身初のポップアップイベントを実施、成功を収める。
公式ホームページ http://www.kotaokuda.com
ーー海外に出られたタイミングときっかけを教えてください。
小さな頃からファッションと海外への憧れがありました。
新潟市の高校を卒業後、将来どうなりたいという具体的なビジョンがない状態で、まずは日本にはどういう人がいるのだろう、クリエイティブな人に話を聞きたいと思い、上京して1年ほどいろんな人と会った上で、イギリスに留学することを決めました。
親族に油絵やデザイン、音楽をやっている人がいて、彼らからも無意識に影響を受けていました。
ーージュエリーデザイナーを志したきっかけは?
イギリスに留学して最初は、ケンブリッジでファッションや彫刻、ガラスやセラミックなど色々なことをやりました。
その後、やはりファッションで有名なロンドン芸術大学セントラル・セント・マーチンズカレッジ(以下セント・マーチンズ)に行きたいと思い、専攻をどうしようとなった時に、布という柔らかい素材とファッション独特の空気感に馴染めない自分に気づいて、ファションは違うな、と思いました。逆に、硬い素材、金属や木材が好きで、周囲の助言もありジュエリーを専攻したのが始まりです。
それまではジェエリーに関して経験も知識もなかったのですが、実際にやってみたら、ジュエリーというか、金属や機械、そういうものがしっくりきました。
ーー奥田さんはデザインだけでなく制作もご自身でされています。過去の作品紹介の一文で「血便でるまで磨き続けた」という言葉が印象的でした。制作にも並々ならぬこだわりがあるようにお見受けしましたが、肩書きは「ジェエリーデザイナー」で良いのでしょうか?
あまり肩書きが好きではないというか、カテゴライズされたくないという思いがあって、肩書きはなんでもよいです。ですので、わかりやすい、という理由で「ジュエリーデザイナー」を使っています。
デザイン、制作、どちらも好きです。ただ、デザインは結局、つくりがわからないとできないことなので。地金の相性とか石留めのやり方とか、つくって初めてデザインが見えてくるのかなと思っています。磨きで0.2mm減るから0.8mmにしたいなら1mmとっておかないとダメだな、とか、地金の値段に対する貴金属の重さなど、デザインするにあたり、つくりへの理解はとても大切です。
セント・マーチンズはコンセプトメイキングがメインなので、技術面は自分でMartin Hopton(マーティン・ホプトン)というジュエラーの元で、修行させていただきました。他に作業をするために外部の工房を3−4軒、転々と渡り歩いていました。
磨いている間は、特に何も考えないでやっています(笑)。
ーーセント・マーチンズ在学中にファッションの若手登竜門と言われるITSのジュエリー部門で優勝されています。まず大会に出場された動機を教えていただけますか?
単純にコンペがそれしかないからです。
学生対象かつアートっぽいジャンルのジュエリーやアクセサリーを扱っている国際的なコンペはITSしかないからです。セント・マーチンズのクラスメートも多数応募していました。
タイミングも大きいです。学生限定なのでチャレンジできるタイミングがその時しかなかった、ということです。
コレクションを制作するにあたってSWAROVSKI(スワロフスキー)が全面的にスポンサーだったのですが、ITSの協賛もSWAROVSKIでした。ちょうど何か新しい見せ方・使い方を模索していたので発表するには絶好の機会と思いました。
ーー優勝した時のお気持ちは。
思い入れの強いコレクションでしたので、とても嬉しく感慨深いものでした。
ただ、ITSで優勝したからといってどうもならない、ということも自覚していました。
ーーコンペでのプレゼンはもちろん英語ですよね。作品の良さはもちろん、プレゼンスキルも重要と伺いましたが、どのように培われたのでしょうか?
イギリス留学当初は、英語とコミュニケーションはきつかったです。
ですが、セント・マーチンズはプレゼンの回数がとても多く、2週間に1回くらいのペースで自身の作品のプレゼンを課されました。
単純な解説のみではなく背景にある考え、どうしてこれが新しいのか、何がいいのか、日本語でも難しいようなプレゼンを繰り返す中で、書く・話すという英語力も含めて、作品をよくみせるプレゼンスキルが身についていったと思います。
もちろん自分自身も何度も失敗して、気づいたこともたくさんあります。
セント・マーチンズでアイデアをポンポン出してプレゼンしてっていう、とにかく場数を踏んだことで、審査員の特徴をみて、何を当てればハマるか、コツを掴んだのかもしれません。とにかく数をやる、ということの重要性が後になってわかりました。
ーーニューヨークにいらっしゃったきっかけは。
セント・マーチンズ卒業後、引き続き海外でやりたいという思いがあったのですが、ヨーロッパはビザ取得がとても難しくて。ニューヨークであれば、これまで培ったコネクションでビザの目処がついたということに加えて、ITSの後に、ニューヨークのジュエラーからオファーがあったのですが、その時もビザの問題で無くなってしまい、そのリベンジをしたいという思いもあってニューヨークに来ました。
もちろんファッションが盛んだということも大きいです。
ーー今回のニューヨークファッションウィーク2017A/Wでは3ブランドとコラボレーションされたと伺いました。ファッションとはどのようにコラボレーションされるのでしょう。
「LANDLORD(ランドロード)」「KOZABURO(コザブロウ)」「Section8(セクションエイト)」とコラボしました。また、東京ファッションウィークに向けて「Yohei Ohno」とのコラボも進行中です。
きっかけはもともと知り合いだったり、先方からお声がけいただいたりです。
制作の進め方はケースバイケースですが、コレクションはとにかく時間がないので、服と同時進行、服のデザイン画もない状態でデザインしたりします。
デザイナーと会話というか・・・「ぶどう、よくね?」ってなって画像検索して、「ぶどう可愛いじゃん、ぶどうにしよう!」っていう軽いノリの時もあったりして(笑)。
つくって終わりではなくて、次のステップを会話して、今後につながっていくのもコラボレーションの面白さですね。かなり無茶な注文がくるときもあるのですが、それが逆に楽しいです。
スタイリングとしてジュエリーが使われると、新しい発見がありますね。
——日本では伊勢丹新宿にて「Far Horizon」というテーマでコレクションを制作され、ご自身初のポップアップイベントを開催されました。完売品もでる盛況ぶりと伺いましたが、いかがでしたか。
初めての接客・販売・陳列・インスタレーション・交流……全てがとてもチャレンジングでした。
ファッションとのコラボレーションと違い、伊勢丹の方は、実用性を意識しました。このコレクションの仕上がりはとても気に入っています。
一番人気だったリングは、置いた時の彫刻的な美しさと、装着した時のこのリングが浮くように見える驚きと喜び、両方を兼ね備えています。他にもパーツを外すとリングにもなるイヤリングや、手持ちのリングとの重ね付けがしやすいリングなど、機能性にこだわりました。
伊勢丹では、店頭で直接お客様とお話でき、色んなご意見を頂戴してたくさん気づきを得ることができました。
ターゲットとしては、ファッションが好きな方が僕は好きなので、伊勢丹にいらっしゃるファッションが好きな方を意識してつくったのですが、幅広い年代の方に受け入れていただけて、捉え方も様々で面白かったです。
ーーますます活躍の場を広げていらっしゃいますが、今までで最もexcitingだったお仕事はなんでしょうか?
ITSのファイナリストとして制作した、スワロフスキー本社に収蔵される作品です。その規模感には興奮しました。
また、セント・マーチンズ在学中におこなったロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館とのコラボレーションも楽しかったです。帽子を作ったのですが、こちらも気に入っています。
やはり最終的に綺麗にうまく仕上がると嬉しいですね。
ーー日本人で得したことはありますか?
正直ないです。
ーー日本人であることのデメリットは。
ビザですね。日本人というか、移民のデメリットかもしれませんが。
あと、これは自分の問題なのですが、たまに南米的な陽気なノリについていくのが難しいと感じる時があります(笑)。
ロンドンは比較的湿っぽくて、故郷の新潟も湿っぽかったので馴染み安かったのですが、ニューヨークはカラッとしていて馴染むのに時間がかかっています。
最近はいい意味で諦めというか、こういうパーソナリティでいい、足並みを揃える必要は別にないかな、と思えるようになりました。
総じて、日本人としてというより、ジュエリーを見ていただきたいという思いでやっています。
アイデンティティがないように思われるのですが、我を出すのがあまり好きではなくて。自分の国ではこうだ、という主張の仕方が好きではありません。そういう意味でも人とやるのは好きですね。自分がこうだ、というより相手に向き合うことで新しい発想に出会えるのが楽しいです。
ーー海外で出逢って影響を受けた人はいますか?
コラボレーションした人たちからは全員影響を受けています。
また、セント・マーチンズの先輩方・生徒からもたくさんの強い影響を受けました。こういう人もいるのだな、すごいな、という感覚でした。作りへのアプローチや考え方のプロセス・作品の見せ方・知識や趣味の共有など多岐にわたり影響を受けました。
先生方ももちろんそうですね。
セント・マーチンズでお世話になったCaroline Broadhead(キャロライン・ブロードヘッド)、Lin Cheung(リン・チェン)、TASAKI(タサキ)のデザイナーでもあるMelanie Georgacopoulos(メラニー・ジョージャコプロス)や、日本のヒコ・みづのジュエリーカレッジの先生方、皆面白い方ばかりで、技術的な面からジュエリーとはなんぞや、という哲学的なところまで影響を受けています。
コンテンポラリージュエリーを見にミュンヘンによく行っていたのですが、ミュンヘン界隈の作家たちからも影響をうけました。規制の枠に問らわれない面白い作品にたくさん出逢いました。
ーーデザインされる際、どこからインスピレーションを得ていますか?
今までのあれやりたい、これやりたいっていうストックからスタートすることもありますし、友人と話していて面白いなと思ったアイデア、ギャラリーや本などで鑑賞して受けた刺激が起点となる時もあります。
まず、ぼやっとした言葉、それこそ「硬い」とかそんなレベルの直感的な言葉を出して、リサーチをします。画像をたくさん集めてムードボードを作って、徐々に形にしていきます。
伊勢丹のときは、身につけることが前提なのである程度絞られる中で、伊勢丹のバイヤーさんと今までの作品を見ながら、アイデアを擦り合わせていきました。
ブランドとコラボレーションするときは、そのブランドのムードに合わせて、とにかく臨機応変にやります。ケースバイケースです。
ーー煮詰まった時はどうされますか?
煮詰る時はたくさんあります。生みの苦しみというか、辛い時は辛いですね。辛いと言っている時点でダメですけどね(笑)。
ロンドンでは自転車があったので、外を走っていました。
今は全く別の作業をします。制作に煮詰まったら、片隅に置きながら他のオーダーメイドの作業をするとか、別のことをしながら、出てくるのを待ちます。散歩に出かけたり、お店を見に行ったり、人と話したりすることで見えてくる時もあります。
ーージュエリーをつくる上で大切にしていることを教えてください。
身につけていただけるかどうか、です。
また、私の美意識を反映させるようにしています。
仕上がりの細かい部分はもちろん、つけてどう映えるか、という視点をとても大切にしています。
コラボレーションならデザイナーの意向をどれだけ汲めるか、販売ならお客様に喜んでいただけるか、自身がこうしたい、というより、相手の思いを実現するのが好きなのかもしれません。
ーー将来の夢やビジョンを教えてください。
自分のブランドはもちろん、コラボレーションを大事にしていきたいです。2つの軸で臨みたいです。
Robert Goossens(ロバート・グーセンス)というジュエリーデザイナーがとても好きです。シャネル、ディオール、イヴ・サンローラン、バレンシアガなど、各々が生きていた時代にメゾンのジュエリーを一手に引き受けていたジュエリーデザイナーです。自分のブランドを持ちながらコラボレーションを大切にする、そういうジュエリーデザイナーの立ち位置を目指したいです。
ジュエリーをつくれる人はたくさんいます。技では勝てないので、王道から少し外れた別のベクトルで勝負したい。自分のブランドも持ちつつ、コラボレーションにも力を入れて、精進していきたいです。
ーー日本に帰るご予定はありますか?
分かりません。海外にいられるうちは、こちらで頑張りますが、日本の仕事もやりたいですし、バランスを見ながらやっていきたいです。
ーー海外で成功するのに必要なことはなんだと思いますか?
成功していると思っていないので難しい質問なのですが・・・。
ガッツじゃないですかね。どれだけ理不尽にアタックするかだと思います。
環境が悪いのは当たり前。ご飯もまずいし、電車も来ないし、何を言っているかもわからない。道具の質も対応も悪いし。その中で、違いを受け入れて楽しくやっていく、という気概が大切だと思います。
ーー海外に出たいと思っている人に一言お願いします。
自分自身のことでいうと、海外に出て考え方や物の捉え方など視野が大きく広がりました。より多くを鑑賞して、感じて、楽しむ機会がありました。またマイノリティの中でもがくことで得たものもあったと思います。
当時、もし日本にいたら絶対に今のような作品を作っていないし、友達やコミュニティもできていないので、得るものは多大でした。本当に良かったと思っています。
20代という若さにもかかわらず、質問したことに対して、明確かつ深い答えが返ってくることに驚いた。普段から様々なことを思考していないとこうはならない。これが世界に認められる人の人間力なのかと舌を巻いた。
他者と、自分と、ジュエリーと、本気で向き合い、考え、形にし、それを発表する。その繰り返しが、人を磨くのだと気づかされた。
発する言葉の端々に、職人らしい生真面目さと、ファッションの最先端に身をおくクリエイターならではの理想の高さを感じさせる。
これからも数々のコラボレーションを通じて、己を研鑽し、さらなる輝きを放っていくであろう、若き天才から目が離せない。