今月、ロンドンのバービカンホールでは画家、バスキアの回顧展が開催される。

『ジャン・ミシェル・バスキア』はニューヨクブルックリンで生まれた画家で、グラフィティ・アートをモチーフにした画風で有名だ。

ゾゾタウンの前澤社長が数百億を投じて、高額で落札したのも、このバスキアの絵だ。

そんなバスキアは、アートだけでなくファッションのセンスも独特で目を引くものがあった。

アルマーニのスーツを愛したバスキア

バスキアはファッションの点でも際立っていた。

アルマーニのスーツを自然体で着こなす独自のファッションセンスの持ち主でもあった。

ズボンに不釣り合いなブレザーにストライプのシャツ、奇抜なネクタイをしたり、柄物シャツにレザージャケットを合わせたりして独自のスタイルがあった。

彼は特にアルマーニのスーツを愛用し、製作の際の絵の具がついても気にしないようだった。

「彼がアルマーニのスーツを製作の時も着ていたことはとても嬉しい。アルマーニの服は普段の生活の中で動きやすくデザインしているからね」と、ジョージ・アルマーニ氏は言う。

こうしたバスキアのブリコラージュ的洋服の組み合わせは、彼の作品とも類似点が多い。

「彼の作品は、文章、色、歴史的な事象、抽象性と造形性のテクニックなど様々な要素が神秘的に混ざり合っている。彼はこれまでのアーティスト人生の中で、グラフィティ・アーティスト、ミュージシャン、俳優であり、偉大なアート作品の創造者だった。こういう折衷主義の中で生きていったことが彼を型にはまらず、ミステリアスな人間につながっていったのだろう」とアルマーニ氏は語る。

バスキアの人生

バスキアはブルックリンに生まれ、1970年代には親友のディアスと二人でSAMOというスプレーで格言を書きデタラメの宗教を広めるゲームをはじめ、1980年代には彼の混沌としたアートは高く評価されるようになった。

1988年に27歳の若さで彼は死去するが、彼の世代に広く影響を残したアーティストとして今尚君臨しており、実際に彼の作品は近年ピカソのように高値で取引されている。

彼は1980年代のアートブームに共鳴し、セレブリティーにも固執する側面があった。

ロックバンド、ブロンディーのビデオに出演したり、マドンナやアンディー・ウォーホルと交友を深めた。

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「バスキアはウォーホルやデヴィッド・ボウイなとステイタスを確立したアーティストの気持ちを掴む存在だった。彼のスタイルはとてもユニークで、ヘアスタイルはウォーホルのように個性的だったし、スーツはデビッド・ボウイのようにスタイリッシュでラフに着こなしていた」とアルマーニは言う。

バスキアのファッションは彼が名声を得る前から個性的で、小さい頃にバスキアは髪にペンシルをさしたりしており、1987年にはコム・デ・ギャルソンのショーでモデルとして参加したこともある。

メンズウエアとバスキアファッション

バスキアは今日もメンズウエアに大きな影響力をもたらしている。

カニエ・ウエストはバスキアのポートレイトTシャツを着たり、リーボックとのコラボなどもある。

クラッシックなスーツとカジュアルなアウトフィットを組み合わせるバスキア独自のファッションセンスは、今なお多くの男性の心を掴んでいる。