【インタビュー】最高の日常着を作り続ける「オーレット(OURET)」デザイナー増田伸也。

気づいたらこの服ばっかり着ていた。そんな、服をだれでも一枚は持っているのではないだろうか。

着心地がよくて、着るだけでリラックスできる。それでいてだらしなくもない。そんな「最高の日常着」を作り続けるブランドが『オーレット(OURET)』である。オーレットのデザイナーである増田伸也氏は、「ファッションショーには興味がない」と言う。ファッションブランドを手がけるデザイナーであれば、一度はファッションショーをやってみたいと思うはずだ。しかし、増田氏は、あくまでも「魅せる服」ではなく「着る服」を作ることにこだわる。

今回は、その増田氏にブランドを立ち上げた経緯から、なぜ「着る服」に徹しているのか話を伺った。

増田 伸也(ますだ しんや)

1975年生まれ。 服飾学校卒業後、大手ファッション企業の子会社に入社後、革小物・シルバーアクセサリーのブランドの立ち上げに参加し、その後、『アタッチメント(ATTACHMENT)』で生産管理として在籍、退社後2007年7月にメンズファッションブランド『オーレット(OURET)』をスタート。

ー増田さんは生まれはどちらなんですか?

生まれは、福岡県なんですが育ちは東京です。なので、福岡のことはあまりよく知らないんですよね。

ーそうなんですね。ご両親はアパレル関係の職をなされてたんですか?

いえ、そうではないのですが、父親が大手メーカーで健康器具の開発部にいた人でして、よく家で日曜大工をしていたんですよ。犬小屋とか棚とか、今で言うDIYですかね。なので当時は、父親の職業は大工なんだと思っていたくらいです。そんな父親を見ていたからか、「”何かを作る”ということが仕事なんだ」っていうのが、小さいながらに僕の中に刷り込まれていました。それからも、将来のことを考える時には、「将来何つくろうかな」と、”何かをつくる”ことを前提に仕事というものを考えてました。

なので今、服を作っているのは、そういった子供頃からの意識が大きかったのかもしれません。ただ、最初から服にこだわりがあったわけではなく料理でも家具でも”何かをつくる”ことなら何でもよくて、漠然と考えてただけではあったのですが。

ー何かをつくるというのが漠然とあった中、なぜ服になったのですか?

高校生くらいになると、誰でもファッションって意識し始めますよね。僕もすごく興味はあったんだけど、どこで何を買ったらいいかもわからないし、何がかっこよくて、何がかっこ悪いのかもわからない。なので、おしゃれな人の買い物について行ったり、服を譲ってもらったりしてファッションを楽しんでいたんです。どこいってもいるじゃないですか、同じ学年やクラスにファッションリーダー的な存在って。ただやっぱり自分では、そのファッションリーダーの人ほど服を着こなせたり、サマにならないんですよ。

そこでまず、自分がおしゃれな人間じゃないんだってことに気づきましたね(笑)。だったら、おしゃれで競うのはやめて、「おしゃれな奴に選ばれる服を作ろう」と、その時思ったんです。その時ですかね、明確に「服をつくろう!」と思ったのは。そして、服飾の専門学校にすすみました。

ー逆転の発想ですね!専門学校では何を学んでいたんですか??

僕は、ファッション工学科に進みました。そこは、服を作ることに特化した学科で服の構造や服作りについてを学びましたね。

ーそこを卒業してすぐ就職したんですか?

そうですね。最初は、大手ファッション企業の子会社に入社しました。そこでは、新規事業だったシルバーアクセサリーや革小物を扱うセレクトショップのオリジナル商品の商品企画として入社しました。基本的に、メンズのバッグや靴やアクセサリーなどをつくっていました。

ー最初は服作りではなかったんですね。

実は、最初にその親会社にパタンナー志望で応募してたんですけど、僕ともう一人の2人だけが最終選考にまで残ったんですが落ちてしまいました。自分が落ちたと言うことは、”もう一人いたあいつ”が受かったのかと思うと悔しくて、どうしてもこの会社に入社してやると決めて、次は部署を変えて生産管理の部署に応募したんです。そしたら向こうの手違いで販売部署の面接に呼ばれて、その面接官だった人が後に入社する会社の社長だったんです。

もちろんその時はそうだとは知らず、生産管理部署の面接官が来るまで僕と30分くらい世間話をしてました。結果、生産管理も落ちたんですけどね。もう意地で販売の部署で、また応募したんです。

そしたら、その間違えて呼ばれた時に世間話をした面接官(後に入社する会社の社長)がいて、「本当は生産管理や企画やりたいんじゃないの?だったら、ちょうど僕が社長をやってる子会社があって、新しいセレクトショップを立ち上げるので、そこで商品企画やらない?」という話しになり、立ち上げに関われるのはいい機会だと思ったのでその会社に入社したんです。ちなみに、これは後から知ったんですが最初パタンナーで最終選考まで残っていた”もう1人”の方も、結果落ちてたみたいなんですけどね。

ーそうだったんですね。じゃあ服作りに関わりだしたのはそこを退職してからですか?

その会社に5年勤めて次に入社した会社からですね。当時、セレクトショップで取引があったブランドの方との飲む機会があって、そこで「将来、洋服で独立するために修行したいから誰か紹介してくれないか」とお願いをしたら、その場で、『アタッチメント(ATTACHMENT)』の熊谷さんと『ラウンジリザード(LOUNGE LIZARD)』の八重樫さんに連絡してくれて、すぐアポを取り付けてくれて実際に話をしに会いに行きました。当時アタッチメントがまだ2人くらいの時で、すぐに入社とはならなかったんですが、それから1年後くらいにアタッチメントに入社しました。

ーアタッチメントにはどのくらい在籍してましたか?

3年半くらいですね。主に企画補助と生産管理を担当していました。

ー3年半くらいと最初から決めてたんですか?

そうですね。独立すると決めていたので、最初に熊谷さんに「独立したいから3年間修行させてください」と言って入社したんです。2年半くらいが立ち、そろそろ独立するためにも今の自分の仕事の引き継ぎを探さなければと思っていたころに、アタッチメントのパリコレが進出が決まって熊谷さんから「どうせならパリコレまで残らない?経験になるよ」ってことで半年長く在籍しました。なので、アタッチメントでの最後の仕事がパリコレでの裏方の仕事だったんです。

ーそれは貴重な体験ですね。そのあと、オーレットを立ち上げたわけですね。

はい。当時は、アタッチメントがパリコレにでて話題になっていたので、「アタッチメント出身の人の新しいブランドがでてきたぞ」と話題になって、いいスタートダッシュも切れました。

ーオーレットの名前の由来とかあるんですか?

名前を考えている時に、やっぱり自分がこうやって服をつくることを仕事にしたのも、父親の影響があったからだったなと思い返して、父親の名前からつけました。OURETを反対から読むと父親の名前になります。

ーどういったコンセプトで立ち上げたんですか?

リラックスできるんだけど、かといってだらしなくないイメージを「最高な日常着」という言葉で表しています。気づいたらよくこのパーカ着てたとか、気づいたらクローゼットがこのブランドでいっぱいになっていたみたいな。店とかに並べたり飾ったりして「かっこいい服」じゃなくて、人が着て鏡の前立った時に初めて「かっこいいな」って思えるような服を目指してます。

ー「魅せる」服ではなくて着て初めて良さがわかるというか、着てもらうことが前提の服作りなんですね。今までファッションショーをしたことないのもそういう意味でですか?

そうですね。別にファッションショーを絶対やらないと決めているわけではないんですけど、やる理由が見当たらないんですよね。別にショーがダメと言っているんじゃなくてショーをした先にあるものを僕が求めてないだけなんです。最初の頃、アタッチメント出身ということで「ショーやらないんですか」ってよくいわれたんですが、アタッチメントのパリコレでのショーを経験したからこそ「ショーはやらない」と思ったんですよ。

当時ショーが終わった時は涙が止まらなかったんです。裏方としてやりきったし、感動もしました。ただ、これだけ裏方や関係者が一丸となって、たった十数分のショーに全力を尽くしているのに結局スポットをあびるのはデザイナー1人なんですよね。それが僕の思想とは少し違いました。やっぱり、様々なプロフェッショナルが集まって大きなことを成し遂げた時に、自分だけがスポットを浴びるなんて耐えられない。だからその時、僕はショーには向かないと思ったんです。

ーなるほど。でもファッションショーに憧れてデザイナーになる人って多いですよね。最後にデザイナーがバーっと出てきてスポット浴びて、それにあこがれてブランド立ち上げてみたいな。

それは「デザイナー」になりたかった人達ですよね。オーレットのデザイナーって誰?となれば僕が該当するのですが、自分では「デザイナー」って感覚はあまりないんですよ。生地の産地に行って、昔の資料見ながら「この糸どうなんだろう」とか「この糸染めたらどうなるんだろう」とか、そういう研究開発があって生地ができあがる。僕は、そこにもっとも情熱を注いでいて、デザインはその後に行う作業でしかないんです。だから、僕にとってはデザインは『作業』なんです。

ーなるほど、本当に意味で「ものづくり」が目的なんですね。ということはデザインを人に任すことも考えてるんですか??

後々は考えてます。ただ、オーレットってブランドは、僕が生地を作ってさえいれば壊れないと思ってます。素材の部分がなによりこのブランドがこだわっているところなので、ある意味デザインはその時々によっての自由で良いんです。

ー増田さんは肩書きは一応「デザイナー」なのかもしれませんが、中身は大きく違いますね。

僕は、デザインを売ってるんじゃなくて、(服になった)素材を売ってるんです。なので「デザインをするために素材を選ぶ」じゃなくて、「作った素材を表現するためにデザインをする」なんですよ。糸を選んだり、混率や織りの組織を考えたりと、素材作りに関しては、何の苦もなくどんどん新しいアイデアが湧き出てきて楽しんでやっているので、どちらかというとデザインする方が苦なんです。ショーとかに全く興味持てないのもこのせいですね。どちらかというと、「テキスタイルデザイナー」なのかな?

ー今後は海外展開も含め、これからも「最高の日常着」を作ることを続けていくんですね。

まずは、海外でも継続できるようにしっかり国内の地盤を固めてから海外を目指したいですね。そのためにも現在は、ECも含め自社での販売網を強化しています。なにより一番の目標は継続です。長く愛されるブランドであり続けたいと思っています。

オーレット(OURET)

日本のメンズファッションブランド。コンセプトは「BLACK RESORT」。「BLACK」は緊張感、幻想、都会の空のイメージ、「RESORT」には自然、癒し、ゆとりといったイメージが込められている。30代の大人の男性のための、リラックスながらも決まるリアルクローズを提案している。

公式HP:https://ouret-shop.jp/