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加速する街東京で、消えない「個」を追う連載企画 「Why are you in Tokyo?」
刺激とスピードに満ちた街、東京。 絶え間ない変化の中で、人々は自分を磨き、強く、美しく振る舞う。
けれどその内側には、外からは見えない葛藤や悩みがある。不格好でリアルな感情、そして純粋な想い。
表現者たちは、なぜ東京を選び、ここで活動を続けるのか。会話を通して、都心で生きる若者たちの飾らない素顔を切り取る。
今回登場するのは、モデル・スタイリストとして活動する Minori Fujikawa。
唯一無二の感性で、自らをアイコンとして表現する傍ら、ブランドのスタイリングも手掛ける彼女。
「私は姫なのに、なんでこんな田舎にいるの?」という幼少期の違和感を原動力に、韓国での生活を経て東京へ。
「自分が納得するかどうか」だけを基準に突き進んできた彼女が語る、強くてしなやかな「姫マインド」の正体とは。

―― 現在の活動について教えてください。
Minoriです。
普段はモデルやスタイリストとして活動しています。
もともとは「ファッションに関連することなら何でもやってみたい」という気持ちで東京に来ました。
コロナ禍で外出できなかった時期に、家で服のリメイクをしたり、自分の表現をSNSで発信し続けていたら、モデルとして呼んでいただけるようになって。
そこから、私のセルフスタイリングを見たブランドさんから「スタイリストとしてお願いしたい」と直接声をかけていただく機会が増え、今の形に繋がっていきました。
―― ファッションに目覚めたのはいつ頃ですか?
もう保育園の頃からですね。ずっと「プリンセス」が好きで、フリフリでカラフルな服に囲まれていたいタイプでした。
成長してもその感覚は消えなくて、小3くらいからはもうファッション雑誌を読み漁っていました。
ただ、地元はめちゃくちゃ田舎で。田んぼばかりの風景を見ては「私は姫なのになんでこんなところにいるの? 絶対におかしい」ってずっと思っていました(笑)。
だから、早く自由になれる大人になりたくて仕方がなかった。
早く大人になって、自分の人生を自分の手で動かせるようになりたいという焦燥感のようなものが、幼少期からずっとありました。
―― 学生時代は、そのエネルギーをどう発散していたのですか?
ルールを破ってオシャレするのはダサい、というのがうちのポリシーだったので、ルール内でいかに目立つかを考える「生徒会にいる一軍」みたいなタイプでした。
ギリギリのラインで自分を表現して、番長みたいに周りを引っ張って。勉強も「ここを出るための手段」だと思えば伸びるし、必要ないと思えば一気にやらなくなる。
昔から「自分がどう生きたいか」に対して、すごく極端でストイックだったんだと思います。
―― 当時から、かなり自分を持っていたんですね。
「早くここを出たい」という思いの根底には、自分のことは自分で決めたい、という強い気持ちがあったんだと思います。
昔から、他人の評価ではなく「自分が納得いくか」がすべて。
たとえば漢字ドリルの宿題でも、親が「綺麗に書けてるね」と言ってくれても、自分が納得いかなければ全部消してやり直すような子でした。
第三者がどう思うかではなく、自分の基準をクリアしているかどうかが重要なんです。
―― その「自己完結した基準」が、今の活動のベースになっている?
そうですね。「私はこれが好き、だからこれをする。これは正しい。」
そうやって外の声に惑わされず、自分自身の評価を信じて貫き通してきたことが、年を重ねて今の自分の「深み」や「味わい」に繋がっているなと感じます。
結局、自分が一番の理解者でいられれば、どこにいても、どんな状況でもブレずにいられるんですよね。

―― 専門学校時代に「誰かの下につかない」という決断をした理由は?
大阪の専門学校でスタイリストを学んでいた時、王道のアシスタント経験もしたんですけど、「あ、これうちには合ってないな」ってすぐに気づいたんです。
やっぱり私は「姫」なので(笑)、誰かの色に合わせるより、自分の世界を分かってもらう方が早いと思った。
「だったら自分が有名になればいいやん」って。まずは自分という個人の名前をしっかり確立して、そこからスタイリストの仕事に繋げる道を選びました。
―― 東京に来る前に、韓国へ一人で渡ったのはなぜですか?
専門学校を卒業する時、どうしても韓国のファッションシーンを肌で感じたくて、1年間必死にお金を貯めてワーホリで行きました。
それまでの人生で一番学び、一番遊んだ、濃密すぎる時間でしたね。 夜10時までバイトして、そこから朝5時までクラブで遊び、そのまま9時に出勤する……なんて毎日。
初めての一人暮らしで言葉も通じない、でも働かないと生きていけない。そんなギリギリの環境が、私の甘さを全部削ぎ落としてくれました。
―― その「サバイバル」な経験が、今の自分にどう繋がっていますか?
「ここにいられるだけでいい、生きてるだけで丸儲け!」って思えるくらい、精神的にたくましくなりました。
あの時の経験が、単なるわがままではない、地に足のついた「タフな姫マインド」を作ってくれた。
どんな環境でも自分を貫ける自信は、間違いなくあの街で手に入れたものです。
―― その後、なぜ東京へ?
韓国から帰ってきた時、もう地元や大阪という選択肢はなくて、東京しか考えていませんでした。
一回海外を経験すると、日本国内の移動なんてすごく近く感じちゃって。
半年で上京資金を貯めて、23歳になる年に東京へ。
直後にコロナ禍になって最初は戸惑いましたけど、「絶対にファッションの道で生きていく」というマインドだけはブレませんでした。

―― 東京での活動が軌道に乗ったきっかけは?
最初は古着屋でバイトをしながら、とにかく自分のスタイルをSNSに上げ続けていました。
そうしたら、東京って名だけで繋がっていくスピードが本当に早くて。
バイト先の近くにいる友達や、ふとしたきっかけで知り合った子が、実はすごいモデルだったりクリエイターだったり。
そこから芋づる式に輪が広がっていったんです。
韓国にいた頃から自分のスタイルを発信していたこともあって、日本に帰ってきたタイミングで「あの韓国にいた子だよね」と認知してもらえていたのも大きかった。
点と点が線になるスピードが、東京は圧倒的に早いなと感じました。
―― モデルからスタイリストへ、活動の幅が広がった背景を教えてください。
モデルとして呼ばれる現場でセルフスタイリングを続けていたら、それを見たブランドさんが「スタイリストとしてお願いしたい」と言ってくださって。
自分が有名になってからスタイリストの仕事に繋げるという、最初に思い描いていた「遠回りしない道」を、東京のスピード感が後押ししてくれました。
師匠について修行する形ではなく、自分の感性を信じて発信し続けたことが、結果的に自分らしいキャリアに繋がったんだと思います。

―― モデルとスタイリスト、両方の視点を持つからこそできる提案とは?
現場では「服が一番綺麗に見えるか」を徹底的に考えます。自分がモデルもやるからこそ、体型のカバーの仕方や、ロゴを美しく見せるためのミリ単位のポージングまで、モデル・ブランド双方の気持ちを汲み取って動けるのが強みです。
また、今でもアパレルの接客現場に立ち続けているのは、リアルな人間観察が好きだから。
画面上のトレンドだけでなく、現場のお客様が何に悩み、何に惹かれるのか。その「生きた感覚」をスタイリングに落とし込むようにしています。
―― 多様なスタイルを乗りこなすためのインスピレーション源は?
ピンタレストで探る平成のガチャガチャした空気感や、昔のアニメのシルエット、さらには韓国のヒップホップシーンなど、興味の対象は常に広げています。
トレンドは意識しつつも、決して一つに決めつけない。
ジャンルを自在に乗りこなせるのは、自分の中に「主(あるじ)」となる確固たる自我があるからだと思っています。
―― minoriさんが最も大切にしている「姫マインド」について教えてください。
自分から媚びを売りに行くことはしません。万人に受ける必要はなくて、自分の世界観を分かってくれる人たちに、100%の力で恩返しがしたい。
みんな、もっと「姫マインド」でいいと思うんです。他人の評価ではなく、自分が満足し、自分を肯定できていることが一番。
東京という激しい街でも、自分が「姫」という自覚を持って凛としていれば、自然と運も味方してくれる。そう信じています。

「私は姫」。その言葉は、誰かに甘えるためのものではなく、自分の機嫌は自分で取り、自分の正解は自分で決めるという、彼女なりの自立の宣言だ。
田舎への違和感も、韓国でのタフな生活も、すべては今の自分という人格の「味わい」を作るための経験として前無垢に受け入れる。
誰かの下で修行するよりも、自分がアイコンとなって道を切り拓くことを選んだ彼女のスタンスは、一見わがままに見えて、その裏には徹底した自己責任とストイックなプロ意識が同居している。
「自分が納得できれば、それでいい」。 変化の早い東京で、周囲に媚びず、自分の旗を立て続けるMinori。
そんな彼女の潔い「姫マインド」は、複雑に考えがちな私たちの肩の力を、少しだけ抜いてくれるような気がした。
今回彼女が着用したのは中国ブランドeat me plz
甘さに絶妙なエッジ効いたアイテムを展開し、様々な層から支持を受けている
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